
チ。―地球の運動について―
カラマーゾフの兄弟に触れて

『神は死んだ』今だからこそ
自分の神を起こす時なのかもしれない

現代では心の支えが不明確すぎる
この世界では心が折れてしまう

だからこそ自分だけの神を起こしてあげてほしい
ドフトエフスキー、チ。に触れて思ったこと

最近この宗教と神、哲学について触れる機会が
多くあったなと同時に
ニーチェが『神は死んだ』と言って西洋の人は
どれくらい戸惑ったかな?と思った
それでも、科学などが発達して
それほどではなかったとしても
神を拠り所にしていた人は
この先何を心の支えにしていけばいいのか?
この問題に直面したのかなと思った
でもここで私は疑問に思った
あれ?
日本の人は何をこころの支えにして生きてきたんだ?
日本の人が心の支えにしてきたもの

やっぱり仏教が一番に上がるのかな…と
なんとなく思い浮かぶところではあります
これに関しては後で調べようと思うので今回は触れません
私はもう一つ大きなものがあるな〜と思ったのが
自然です
自然を崇めていたというか…
そこにあったというか
例えば、、、
季節の花
お祭りなんかも自然から来てるものも多いよね
こういった季節とか自然というものも
心の支えというか楽しみの一つとして
日本の人の心を支えていたのかなと思ったんだ

個人的に、もう少し自然に触れる機会が多くなると
心の潤いに繋がるのかな〜と思ったよ
今は心の支えが不明瞭?

神は死んだと言われて今は資本主義を信仰している私たちですが
今こそ、それぞれの神を起こす時なのかもしれない
GOD morningなのかもしれない
ドフトエフスキーさんが言及されていた、神を信仰しなくなった世界では
自分だけの利益を追求して、他人のことをなんとも思わず攻撃する人が増える
まさに現代そのものだなって感じた
そんな世界で生きる上でみんなが手を取って
調和を目指していくためには
それぞれの神を起こさないといけないのかもしれない
だけどこの神同士が喧嘩をするのはまた違うと思っていて
それぞれの持っている、思っている神は
隣人を攻撃していい口実になっていいわけないと思うんです
この神って言うのは
なんでもいいんです
アイドルでも
ゲームでも
アニメでも
花でも
恋人でも
ぬいぐるみでも
それを持っているだけで心の支えとして
成り立っているというか
その自分だけの神を持つことが生きていく上で
必要な余暇や余白、逃避先になってくると思う
どうしてもそんなの無い!
ていう人は
観葉植物でもいいからそれを
神にして欲しいなって思う
それがあるのとないのじゃ違うから
騙されたと思って観葉植物に気持ちとか
言ってみて
それだけで心の支えになるから
心の支えは万能神じゃない

ただ、この神という心の支えがあっても
厳しい時ってあると思う
絶対的な万能神ではないってこと
その究極的に追い込まれた時や
もうダメかもって時は
結局
人のあたたかさや
愛や
言葉が必要になるのかもしれない
結局のところ行き着くところは
人は人によってじゃないと救われない
のかもしれない
この厳しい世界で生きていくのは
苦しいものしかないかもしれない
でも、少しでも希望になる
何かを提示したり
言えることがあればここで言いたい
と思った言う今日この頃でした
それじゃ、またね
最後に参照したもの明記して終わります。
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