↓下に書かれているものに至るまでに
こちらに書かれているものの
若干続きというか…

私のものとかないよね〜とか

私とそれ以外って明確に定義できないよね〜とか

私とそれ以外区別つかないなら…
生と死ももしかしたら区別つかないのでは?

だって私は世界にいるし、世界は私だし
生きてても死んでても世界なのにって思ったのね
飛躍しすぎかもしれないけど…この考えからの
思考の続きになっているとか
いないとか…
では本題にいこう

生きているか死んでいるか
分からない
明確にここも白黒付けられないのかも
寝てる時って死の予行練習て言うか
死と呼ばれているものに
1番近い気がする
でもやっぱり
私は死んでる
私は生きてる
て絶対なんて
言えないのかなぁて最近思う
だからこそ
自分と世界ってすごく曖昧で
あるかもしれないし
ないかもしれない
それだとどう歩いていっていいか
分からなくなっちゃうと思う
「善い」
て言われるものを
真っ直ぐ立って歩いていくことなのだとしたら
社会や他者から言われること
求められるもので傾いてしまったり
そのおかげで何か好きな物に
傾けられたりとするかもしれない
でもどこから見て真っ直ぐなのか
どこからみて立ってるのか
分からないよね
それだとやっぱり不安だし怖いと思う
そんな道の灯りをともして歩けると
いいのかなぁと思う
それっていうのも
もしかしたら
あるようでないよね
なのかもしれない
誰かの灯りが誰かの影になるように
どちらにもなると思うけど
その歩く道がその人にとって
怖くて暗くて怯えずに
歩ける道であるように
ただ、今回はその明確な「灯り」
についてお話ができなかったんだけど
それが、、
この前話した
自分の神を見つけように
なるのかな…と思ったりして
それが偶像で偽りで嘘だったとしても
その全てを笑って受け入れられることが
灯りになるのかな…と思った次第です

結局なにがいいたいのかと
言われると困っちゃうけど
そんな生きてるか死んでるか
分からない
何も分からないのかもしれないけど
そんな道だと思っているものを
私は笑って微笑んで
生き死んでいきたいのかもしれない
欲を言うのであれば…
肉体として、命が尽きる時の最期の言葉は
「おやすみ」
であったらいいなと思うよ
それじゃ、またね
参考図書というか…自分と同じ考えの人いるやんってなったやつ
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