幸せは大きければ大きいほどいいのか?

日常のふと思ったこと

私はこの2つの大きさの違うプリンを前にふと疑問が生じた

幸せは大きければ大きいほどいいのだろうか?

もちろん大きければ、たくさんプリンを食べることはできる

だが、適量というおいしくプリンを食べられる量というのがある

でも、大きいプリンを前にしたらプリン好きは嬉しくて発狂してしまうだろう

でも待てよと

舌切り雀というお話があったなとふと思う

あれは、小さい重箱を持ち帰った爺様が幸せになるお話だった気がする

幸せにも適量があって望みすぎると破滅してしまうという教訓なんだろうか?

幸せの適量ってでもわかんなくない?自分はまだまだ足りてないと思うと足りてないのか?

そもそも幸せの適量って個人の塩梅(主観)で決まってしまうのではないか?

ただここで過去の偉大な哲学者が耳打ちにこう囁いてくる

「だてねこ君足るを知りなさい」とへいへいそうですよね

もう十分そこに、目の前にあるじゃないかと

これ以上何を望む必要があるんだと言いたいんですよね

でも、、人間て求めてしまう愚かな動物ということもわかって欲しいよ

みんながみんなあんたみたく、聡明じゃないっての

時に欲望に塗れてしまう時があると思う。だって人なんだもん

多分だけど•••たまにジャンクフードを食べたくなる時あるじゃん。

その時だと思うの。欲望のままに生きている時って

でもね•••多分健康にいい食べ物とか食べてお腹いっぱいになった時とか

太陽の下で気持ちよく寝られる時の充足感が足るを知るの満足感だと思うんだよね

だって古代中国に絶対マックないもん

老子さんだってマック食べたら足るを知るとかいってないって絶対

「めっちゃ上手くねこれ!」って言っているって多分。その世界線も見てみたいが•••

話がそれちゃったね

でも、幸せの適量が決まっていたとしても、その瞬間に幸せだなぁって実感できることが

一番大切なことなのかもしれないね

量とか質とかそんなんじゃなくて

あっ今幸せだなって満たされることを考えた方がいいかもね

そのほうが心のためというか

そのために生きているような気がしちゃうしねどうしても

だからこそ、私は大きい方のプリンも小さい方のプリンもおいしくいただきたいと思う

本末転倒かもしれないけど、幸せに大小なんてないんだよ

それこそ、幸せを大きさっていう概念では表しきれないものだと思うしね

目に見えないものだかからこそ心で感じていきたいね

老子さんごめんね•••きっと足るを知るの意味合いはもっと深いところにあるんだろうね

まずは目の前にある当たり前にあると思っているものに目を向ける

もうあなたは、十分満たされているんじゃない?と、、、

いつか、老子さんとマックを食べる日を楽しみにしております

本日は以上です

ありがとうございました

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